勝ち負けはこだわる
個性を重視するため?というもっともらしい言い訳で、学校教育で順位を着けないのが流行っているとかいないとか。
実社会では常に勝負。
順位を争うことは避けて通れないのがビジネス社会だ。
であれば、勝敗へのこだわりと負けた際の精神的な壁の克服を小さい時から学んでおいた方が良い。
特に不屈の精神は幼少期で基本的な耐性が決まりそうだ。
勝負から自らの特性、個性を見つけていくことも重要だ。
これはAさんには勝てないがこれなら勝てる。
これについては誰にも負けないなど。
生温い温室で教育をしようなどというのはナンセンスだ。
個性をもっと大切にしたいというのであればむしろ競争は促進すべきだと思う。
学問的なことだけに偏らないという大前提は必要だが。
そもそも子供には可能性が秘められている。
それを見つけて伸ばせるかどうかは本人のやる気次第だったりする。
やる気を出すきっかけを大人は阻害しがちだ。
あれダメ、これダメ、ああしろ、こうしろと。
これでは指示している大人以上にはなれない。
基本的な社会や競技のルールだけ教えたらあとは自由にやらせれば良いと思う。
自ら考え、実行することを基本として、どうしてもわからないときはそこで初めて教えを請えば良い。
それくらいの距離感が子供にもストレスが、掛からないような気がするが気のせいだろうか。
自由に動く中で常に勝ち負けにこだわりを持ちつつ、傲慢にならず、敗者への思いやりも忘れないでもらいたい。
初登校
お隣りさんとの約束30分前から行く気満々。
両親の心配などどこ吹く風状態で一安心だ。
育児教室で母親と離れるのが嫌だと泣いていたり、登園拒否をしていた年中の時の壁を自ら乗り越えたからか、小学校では入学式、子供だけでの登校初日と心配は杞憂に終った。
直ぐに手を差し伸ばせる場所で見守りつつも自主性を尊重していきたいと思う。
子供の成長は大人が考えるよりも遥かに早いのだから。
子の心、親知らず。
縦割り教育
子供が通う小学校は縦割りで様々な学校生活を送るそうだ。
掃除や給食、お祭りなどのイベントやオリエンテーションなど、一年生から六年生を縦割りにしてグループ活動を行うそうだ。
テレビゲーム全盛で、一人遊びや仲の良い同級生2〜3人としか遊ばないような時代の中で、非常に良い取り組みだと思う。
昔は近所の上級生が下級生の子の世話をしたりしながら自然と世代間のコミュニケーションが自然と成立していたものだが、今では都市部では自然に成立するのは難しい状況にある。
自然に関わる機会が失われていること自体が残念ではあるが、仕組みとして関わる機会があるのは良いことだと思う。
特に兄弟姉妹がいない家庭には有り難い。
子育てをしづらい環境自体を根本から変えていかなければいけないのかもしれない。
愛情を注ぐと優しくなる
怒ってしつけるのではなく愛情を注いで学ぶ環境を提供するのが一番早い。
時に怒るべきは怒る厳しさは必要だが、何でもかんでも怒っていると子供にはよくわからなくなるらしい。
要は怒られているという事象が恒常化すると、防衛本能からか怒った時は話を聞かなくなる、もしくは反発をするようになるらしい。
甘やかすのと愛情を注ぐのは似て非なるものだから、まずは親がしっかりとした基準を持つ必要はある。
他人との比較ではなくあくまでも自らの家庭での基準だ。
他者比較は意味がない。
何故なら言葉に魂がこもらずに説得力に欠けるからだ。
子供は大人が思う以上に色々と感じているものだ。
ズームインスーパー出演
子供が一瞬出るだけだが。。。
朝八時前の幼稚園児がズームインとやる数秒の出演だ。
以前撮影したテープを破損した?から再度の撮影を・・・というプロとは思えないような話もあったようだが(番組制作現場の裏側を知っていると仕方ないと思えるが)当初より一ヶ月遅れで無事に放映となるようだ。
今回はズーミンとチャーミンは「具合が悪くて」来られなかったことが子供には残念だったそうだ。
何はともあれ子供の楽しみを壊さないよう対応して下さった関係者の方々に感謝したい。
褒める効能
特に意識していた訳ではないが、気分が良かったので子供のちょっとした言動を褒めていたら変化が。
いつもは何度言われてもやらないようなことを言われる前にやっていた。
正のスパイラルとでも言うのだろうか。
誤飲事件で沈んでいた気持ちも浮き上がってきた。
医療費の支払いでまた大きく沈むだろうが。。。
まぁ、気持ちが沈んでいたからこそ良いことに気がついたらのだから勉強代だと割り切っておこう。